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Cocoのポケット

好きなものでポケットをいっぱいにしたい人のブログです

Glosoli

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友達の写真を撮りました。
秋だ。もう。


本当に毎日、色々考える日々。
私の知っていることは僅かで、私の心や脳みそは小さくて、全てを受け入れ理解し、とどめておく力がない。無力ではないけれど、とてもとても、微弱だ。

よくやる気スイッチ、という言葉が使われるし、私もよく使うのだけれど、私はスイッチが欲しくない。部屋にいるときと電車に乗るとき。学校で勉強する時と、バイトで働くとき。スイッチをパチン、パチンとON OFFしっかり持つのではなくて、なんとなくゆるやかに、でもちゃんと存在を持ってその場に馴染める人でいたいです。だから服を選ぶときにも、なんとなく過ごすときでも、なんとなくという言葉が持つ空気感を大切にしながら、しっくり私に馴染む子を選びたい。
Grimoireのようなどこか別の世界を感じさせるお洋服を着ていても、それを、なんとなくゆるやかに、と想いながら着ているから、あなたはそれが日常。と認識されて許されるのかなぁ。違うかなぁ。そうだったら嬉しいんだけどなぁ。

表情や振る舞いの優雅さは内面から、という論をかなり信じちゃう方なので、そういったものへの憧れが強いのだと思います。

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でもそのぶん、ゆるやかになんとなく、という言葉をマイナスの意味で実行してしまうことも多々あるからよろしくない。
私のあるべきところに、その時々で、私は流されて行く。何を私が決断しようとそれは変わらなくて、決断したことによる結果も、決断しなかったことによる結果も、それはそれで私の居場所なのだ。過去も現在も未来もずっとそうなんだ。と、そんな気がしていて、そしてそれは、悪いことのように思えないんです。うまく言えないなぁ。
でもふわふわしている分「私のいたい場所は此処だ。」と決めて、死に物狂いでしがみ付く、じりじりと躙り寄っていく。ということが全然できない、それが、良くない。

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私は何がしたいのか。
やりたいことが沢山あるのは、本当はどれもこれも執着がないから。?

君が好きなことを仕事にしたくないという事は、その好きなことに対して最後まで貫く執着心や愛を持っていないという証拠だ、なんてことは、もしそれが本当に正解だったとしても、絶対絶対、認めたくなんかないのに、その結論に引っ張られている私がいる。
悔しい。


「やる気がない人なんかいらないよ。」
「そんな人と何かしたくなんかないもの。」
当たり前のことだ。正論だ。



この子達の気持ちが欲しい。